「この世はバーチャルリアリティ」という考え方

さてさて いきますよ。「考え方」シリーズ。

 

「この世」は一体どうなっているのか?という考え方。

これは決して1つだけではありません。他にも考え方はあります。

 

今回はその一つ

「この世はバーチャルリアリティ」

 

ではないか? という僕の考えの一つを紹介します。

 


VR (virtual  reality)バーチャルリアリティ。 この言葉が世に浸透してきたのも最近ですよね。

 

バーチャルの世界で五感を含む感覚に刺激を与え、現実世界と同じような体験をすることができる。

 

人工現実感や仮想現実と呼ばれています。

 

僕はまだ体験したことがないのですが、ものすごく感覚がリアルで、技術がもっと進歩すればさらに現実味が出てくるそうです。

 

そして出てきたのが「没入感」という言葉。

それだけ感覚が現実に近く感じるということです。

 

これを見たとき考えたことがありました。

それが今回のテーマです。

 

「………この世界も実はそうなんじゃないのか?」

 

……ってね 笑


 

VRの世界では人にどのように感覚を与えることができるのでしょうか?

 

それは「電気信号」です。

 

人の五感、視覚、味覚、嗅覚、触覚、聴覚もすべて「電気信号」なんです。

脳で変換しているからそれぞれの感覚に感じるわけです。

 

VRでも、ジェットコースターのような高所からいきなり下降するような、あの「ふわっと」する感じも、外部から少しの刺激だけで感じることができます。

 

また、実際には”そこ”に物がないのに、VR空間に映像で”そこ”になにかをつかむ動作をしても刺激により視覚情報と相まって本当に掴んでいる感覚にもなります。

 

目をつむって何かを食べると、一体なにを食べているのかわからなくなる時ありますよね。 目をつむって、何かを触っても同じです。

 

視覚情報が人の感じる感覚の中でも最も多いということですが、その視覚でさえも「電気信号」です。

 

目で見た物が本当にその形なのかもわからないですね 笑

脳で変換された上で、「これはこういう形だ」となっているわけです。

 

このことから考えると、今 自分が現実と思っている世界も”本当の現実”なのか怪しくなってきます。

 

この世界も非常に精妙に創られた世界かもしれないですね。

 

以前僕が「月とは一体何なのか」という記事にも書いたのですが

そこで世界はすべて数学で表されているという考え。VRもその点で考えると合点がいきます。

 

それは、自然界にあるものが、すごく数学的で規則性があるものが多いという点です。 ということはある程度は計算により予測が可能ということなんです。


 

 AI(artifical  intelligence)ってありますよね。人工知能。

あれもすごく賢くするためには学習を繰り返す必要があります。学んだ上でパターンを読んでいく。

 

AIも進化し続ければ「人の知能を超える」なんて話もあるくらいです。

 

ここでもそうです。「学び、成長し、進化する」

……ここも人と同じですよね。

 

つまり、僕たち人間は、”何者”かによって創られた、その”何者”にとってのAIかもしれません。

そして何か目的を成し遂げるために”学習”をプログラムされた存在。当然人間が想像できないところからのプログラム。

 

……っていう僕の妄想なんですが 笑

 

それでも、謎を解き明かす「ヒント」みたいなものは現実世界にはあると思います。

映画でもありますよね。「ターミネーター」や「マトリックス」

あながちただのSF映画ではないかもしれません。

 

「事実は小説より奇なり」と言いますしね。

 


 

 「VRに没入する」という表現を、現実世界でも使うとなると………

なんだかおかしな感じがしますが

 

人はみんな「自分の人生に没入中」なんです。

 

そこを俯瞰するということは VRで言えば、ゲームオーバーだったり、ゲームをやめて、現実世界に戻ることを言います。

 

しかし、それを現実世界で表現した場合、どうなるんでしょうか?

 

人生を俯瞰するには”外”に出なくてはいけません。

 

現実世界で言えば「死」や「夢」、「臨死体験」なんかもそうです。

 

表現は様々ですが、それを少し機械的に捉えればこの世はバーチャルリアリティであると呼べなくもないと思います。

 

これはあくまで、想像なので本当のことはわかりません。

しかし、人に与えられている”想像”という力はきっと、進化のためにあるのだと思います。

 

でもね、ちょっと考えてみてください。

人が想像することができる範囲というのは、世界のすべての中から考えてもきっと限度があります。想像できることは現実可能。実現不可能なことは想像すらできないことなんです。

 

 SFと呼ばれる話も、人が想像できる範囲内であると言えます。

なので「イメージがある」ということは、その世界はきっとどこかに存在しているんです。

 

あまりにもスケールが大きな話ですが、どうなっているのか考える、考えることができるのは、この世界の”ヒント”なのかもしれませんね。

 

皆さんはどう思いますか?

 

 

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